アジア第23期研修生報告書(日本語版) 良いリーダーとなって、気づきを分かち合いたい リエカ・アプリリア・ヘルマンシャ インドネシア(ブカシ)出身 32歳(2024年11月現在) 聴覚:ろう 研修目標 1.ろう者がアイデンティティを醸成する方法 2.ろう教育を発展させるためのアイデアや方法 3.日本のテクノロジー 日本に到着して  日本に来るまえ、私はダスキンリーダーシップ研修プログラムについて何も知りませんでした。第二期ダスキン研修生であり、先輩でもあるガルー・スクマラさんに、2020年にダスキンのプログラムに応募してはどうかと勧められました。しかし、同年コロナ禍が世界を襲い、WHO(世界保健機関)が国際便の運航を禁止したため、研修生の選定に遅れが生じました。選定プロセスは2023年にようやく再開し、私は晴れて条件を満たし、選定試験も面接も合格することができました。そしてやっと、生まれて初めて外国に飛び立てることになりました。インドネシアのジョグジャカルタから、シンガポール経由で大阪に向かい、2023年10月23日、関西空港に降り立ちました。  日本では一日目にして、日本とインドネシアとの違いを多く目にしました。たとえば挨拶のやり方です。インドネシア人は両手を合わせるか、右手を左胸に置いて挨拶しますが、日本の人はお辞儀です。インドネシアの季節は乾季と雨季の二つですが、日本は春夏秋冬の四季です。それとともに驚いたのは、日本がどれほど清潔で、秩序だっていて、インクルーシブであるかでした。いろいろな障がいがある人でも、一人であちこち移動していました。混んだ公共の場所でも、誰もがきちんと並んでいました。日本のトイレのきれいさは驚嘆に値します。素晴らしいです!さらに、いろいろな教育テーマのもとにいくつか観光地も訪れました。素晴らしかったです。私はインドネシア人ですが、他の研修生はスリランカとバングラデシュから来ていました。スリランカから参加の女性は視覚障がい (黄斑ジストロフィー)で、バングラデシュからの男性は肢体障がい(シャルコー・マリー・トゥース病)でした。 日本語と日本手話  日本に来る前、私はひらがなとカタカナの練習、それに日本手話を8回のZoomミーティングで習っていました。そのあとは、聴者の先生と、ろう者の先生から直接日本語と日本手話を三ヵ月学びました。レッスンではひらがな、カタカナ、漢字を書く練習が続きました。日本語の文法を覚えるのはかなり難しかったですが、ろう者の先生は次々に新しい手話を教えてくださり、より長い文章を読んだり書いたり練習するように、と励ましてくださいました。日本語と日本手話のレッスンのおかげで地元コミュニティの人たちとよりたやすく、迅速に意思疎通できるようになりました。日本手話のほうが日本語よりうまくなりましたが、これからも両方の勉強を続けるつもりでいます。 ホームステイ  佐賀県では、一週間ホームステイを経験しました。井上さんのお宅で、ゲストのひろしさん、みやびさんと共に新年をお祝いしました。とても楽しかったです。田舎は心も頭もすっきりして、自然の空気を吸うことができ、田舎の雰囲気が大好きになりました。井上さんのお宅では交換留学生の話をいろいろして、ホームステイが終わる頃には本当の家族のようになりました。井上さんは漁師の仕事をしていて、家に生の魚を持ち帰り、料理しています。滞在中は井上さんが獲ってきた鯨肉もご馳走になりました。鯨を食べたのは初めてでした。インドネシアにも鯨はいますが、保護種になっているので、獲ったり食べたりはできないのです。 私の経験したこと 1.ダスキンミュージアム  ダスキンミュージアムでは、ドーナツづくりの最初から終わりまで切って型をとって、という過程を実際にトライしてみました。揚げるところも見学しました。ドーナツにチョコレートとバニラ等のトッピングを好きにカスタマイズできました。他の研修生やJSRPD(日本障害者リハビリテーション協会)のチームと研修を受け、非常に楽しくおもしろかったです! 2.スキー研修  新潟では生まれて初めて二日間スキーにトライしました。スキーの先生、同期の研修生、JSRPDのチームも一緒でした。とても楽しかったです!雪に触ったのも初めてで、かき氷のような手触りでした。 個別研修  個別研修では東京の日本ASL協会に行きました。最初から最後までプレゼンテーションのスキルを研修し、データベースやプレゼンのときの立ち方、聴衆を前にし手話で行うプレゼンテーションの方法などを学びました。聴者とは異なる、ろう者のプレゼンの見せ方を学ぶことができました。プレゼンテーション能力が向上しました。 デフNetworkかごしま  デフNetworkかごしまには、四つの事業がありました。一つ目は、デフキッズです。子どもたちは、ろう学校の授業が終わったら、デフキッズにやってきます。そして、宿題をしたり、みんなで遊んだり、おしゃべりをしたりします。スタッフは手話で子どもたちとコミュニケーションをとるので、子どもたちは、スタッフの説明を全部理解できます。二つ目は「ぶどうの木」です。高齢ろう者やろう重複の方が、手芸品を作っていました。ぶどうの木は、仕事をする場としてだけでなく、手話で楽しくお話ができる居場所としても機能していました。三つ目は、薩摩わっふるです。ここでもろう者やろう重複の人たちが手話でコミュニケーションを取りながら働いていました。工賃を得て、きちんと生活できていると聞き、ろう者が安心して働ける場所の重要性を感じました。私も実際にワッフルを作ってみましたが、とてもおいしかったです。最後は、グループホームです。建物は男女で分かれていて、ろう重複の人たちが暮らしています。入居者は、自立に向けて、親元を離れ、少しずつステップを踏みながら、掃除や洗濯などできることを増やしていっていました。このように多岐にわたる事業を行っているデフNetworkかごしまですが、各事業のリーダーが、全員ろう者であることも大変印象的でした。 大阪府立福祉情報コミュニケーションセンター  このセンターではろう者と聴者のリーダーが効果的に協力する仕組みができています。 こめっこ  こめっこは、楽しい活動を通して、聞こえない乳幼児が手話を身につけられる所です。ここでは、ろう児だけでなく、その親のサポートも行われている点が興味深かったです。例えば、親たちを対象とした手話教室が開かれているので、家庭でも親子が手話でコミュニケーションをとることができます。また、相談業務も行われているので、親たちは聞こえない子どもを育てる不安を解消することができます。 明晴学園(東京)  私は来日する前からバイリンガル教育を行っている明晴学園のことを知っていました。私は主に、幼稚部(4〜5歳)で研修を行いましたが、子どもたちは手話が堪能で、いろいろな話題で話すことができるのを見て驚きました。明晴学園には幼稚部から中学部までの学生が在籍しており、年齢や学部を越えて学生同士が交流できるのも魅力的に感じました。  私の研修の目標は、日本におけるろう児の指導方法やろう児を持つ親について学ぶことでした。インドネシアと日本の相違点として気づいたことが2つありました。  一つ目は、手話で学べる環境の有無です。インドネシアにはろう児が手話で学べる学校がありません。日本では、ろうの先生が手話で学習内容を伝えます。子どもたちは先生の説明を見て、質問をしていました。このような対話を通した教育の利点は、子どもが理解しているか確認しながら授業を進められる点です。インドネシアでは、子どもたちがわからないことを教師がわからないまま、授業が進められています。  二つ目は、相談支援の有無です。日本には、聞こえない子どもが生まれたとき、その子をどうやって育てればいいのかを相談できる場所があります。相談を通じて、ろう児とのコミュニケーション方法として手話があることを知り、両親が手話を学べる場所も提供されます。インドネシアでは、相談支援が行われていません。家庭内でのコミュニケーションがうまくいかないことから、ろう児は一人で思い悩み、家に引きこもってしまうという事例がたくさんあります。 将来の計画  将来の計画は、ろう児とその親が相談できるプログラムを作ることです。また、ろう者の学習のための学校や学習センターを作りたいと思っています。この考えは、明晴学園でさまざまな年齢の子どもたちが、年上や同い年の他のろうの生徒と自由にコミュニケーションしているのを見たことが理由でした。インドネシア全土で手話を使ってろう児と対話することについての意識が向上することはとても重要だと思います。早期教育を左右するからです。とくにろうの子どもを持つ親は毎日子どもと対話するために手話を学ぶことが重要だと思います。また、障がいのある人たちが自分たちの問題を解決するのを力の限り手助けしたいと思います。Bismilla(ビスミラ:慈悲深く慈愛深い神の御名において)。 まとめ  ダスキンの研修のさまざまな活動を通じて、集団研修でも個別研修でも、多くの気づきを得る瞬間が多くありました。日本では数多くの新しい経験をし、知識とアイディアを得ることができました。ここで学んだ知識から得ることは多く、力の限り良いリーダーとなって、この気づきを他の人たちと分かち合いたいと思います。多くの日本の皆さん、なかでもダスキンの皆さんからの前向きな動機付けと支援のおかげで熱意がいっそう強くなりました。  ダスキン愛の輪基金およびJSRPDの皆さんには、日本の研修の間このような貴重な機会を与えていただいたことに心から感謝を表明したいと思います。集団研修、個別研修の期間中に培われた友情と協力関係を今後も維持し、より強いものとしていきたいと願っています。 将来を見据える人たちをエンパワーメント:スリランカにおける障がい者のインクルージョンとアクセス ハルシャニ・カウシャルヤ・マルホダ・デワヤラゲ スリランカ(マーラベ)出身 29歳(2024年11月現在) 視覚:弱視 研修希望内容 1.障がい者のツーリズムについて 2.特別支援教育について  私の名前はハルシャニ・カウシャルヤです。スリランカから来ました。弱視ですが、それでも目を使って何か貢献できることがあると固く信じていますし、できるだけ他の人を助けたいという気持ちが強いです。二年前、コロンボ大学を卒業しました。世の中を変えたいという強い信念と思いから、10月23日に来日し、第23回ダスキン・リーダーシップ研修プログラムに参加しました。この研修は個人的に大きな体験になっただけでなく、私の祖国にとっても大きな希望をもたらすものです。この研修を通して数々の貴重なスキルや知見を身につけることができました。帰国した際にはこれらを他の人たちと分かち合い、母国でもさまざまな取り組みを実施したいと強く思っています。  プログラムでは三ヵ月、日本語研修を受けました。私の旅路にとって大切な基盤となる研修でした。将来的に日本の点字をスリランカの視覚障がい者の学生に広めるインフラを作りたいと考えているので、日本語を理解できるようになることは個人的にとても大事なことでした。スリランカの視覚障がいの学生は日本語を学びたい気持ちが強いのですが、日本語の点字を日本語に翻訳する翻訳者がいないことが障壁になって、日本語科目が履修できないという状況にあります。  ダスキンの研修中は、日本語を上達させたり、点字を学んだりする機会がありました。これらのスキルは個別研修を滞りなく受けるうえで大切でした。日本語が上達したおかげで、人ときちんとコミュニケーションしたり、研修の資料を深く理解したりすることができました。特に、新しい情報やリソースに触れられるようになったため、点字の学習は力になりました。  ダスキンの研修プログラム期間、私たち研修生は車いすやモビリティを使った介助トレーニングも受けました。研修の間、お互いを助け合い、協力的でインクルーシブな環境で研修する上で大変有意義な研修でした。きちんとしたテクニックを学び現実に体験してみることで効果的に移動できるようになりましたし、研修生同士助け合って、参加者全員の研修体験がより良いものとなりました。また、研修によって、一人では難しいことでも、お互いを助け合い協力することで実現できることを改めて認識しました。  ダスキンの研修プログラムでは、なかでも集団研修の第一部と第二部で、研修生としてもリーダーとしても私の学びは大きかったと思います。リーダーシップスキルが向上しましたし、インクルーシブな環境づくりのための効果的なコミュニケーションの方法や、動機付け、指導テクニックなどを学ぶことができました。また、プログラムを通して障がい者の問題に対する自分の意識がいっそう高まり、どうしたらインクルーシブな行動を促進できるのか、どうしたらよりしっかりサポートされた、アクセシブルなコミュニティを作ることができるのかを学べました。研修プログラムによって自信がつき、個人的にも成長できたと思います。また、自己を振り返ることによって、進捗状況を評価したり、達成したことを素直に喜んだりすることを学びました。  将来についても明確なビジョンができました。前進し続けていくための目標や行動計画もはっきりしました。日本などの外国の障がい者政策について学ぶことで視野が広がり、権利擁護については、この上ない学びとなりました。そしてこれらの体験から、他の人たちを導き啓発していきたいという力が湧いてきました。  研修ではリーダーシップスキルのほかに、提案書の書き方を学び、説得力のある提案書の作成や、目標を明確に説明すること、効果的な予算計画を立てることができるようになりました。こうしたことにより、スリランカの障がい者の人たち向けのサービス向上を目的とした資金集め活動ができると思います。 プレゼンテーション能力もアップしました。関係者やコミュニティの人たちに対して説得力があるケーススタディを紹介することで、障がい者の人たちの権利擁護にも役立つと考えています。  また、人脈作りのスキルについても学びました。職業上の関係づくりや、そうした人脈を活かしコラボレーションにつなげること、専門家や各団体とつながって支援を受けることなどができるようになりました。こうした体験やスキルによって、障がい者のインクルージョンや、インパクトあるプロジェクトの計画、よりインクルーシブな社会づくりなどに向けた方法を身につけられたので、スリランカのために、より効果的なリーダーになる準備ができたと思います。  個別研修は、障がいのある大学生を指導する教師になるためのとても大切な経験でした。個別研修で学んだことは、スリランカにとって大きな利益をもたらすだろうと思われます。京都の立命館大学、佛教大学、京都外国語大学、同志社大学など大阪や京都の大学を訪問して、障がいのある大学生のための支援システムを見学しました。インクルーシブな環境作りの大切さを感じ、障がいのある大学生の教育効果を高められるように、スリランカの大学で同じような仕組みを作りたいと思いました。  また、日本点字図書館、京都ライトハウス、大阪ライトハウス、ヒューマンケア協会、京都市聴覚言語障害センターを訪ね、さまざまな障がいを持つ人々にとってアクセスしやすい職場づくりや役に立つリソースを提供するにはどうしたらいいかなどのアイディアを頂きました。スリランカで視覚、聴覚、肢体障がいの人たちのニーズを満たせる包括的な支援システムを作る上で欠かせない知識となりました。  また、アクセシブルな図書を作るシステム「DAISY」についても学び、テキストや読みものの代替形式を作ってどんな学生でも同様に履修項目の資料を利用できるようにするスキルも学びました。これができれば、スリランカで印刷物が読めない学生の学習が大きく改善できますし、一人で学んで自立するうえでも大いに役立つはずです。  八王子のヒューマンケア協会ではピアカウンセリングのコースを履修しました。障がいのある学生の学習環境を精神的な、また実践的な支援を通じて支えるスキルを身につけました。一言でいって、ダスキンのリーダーシップ研修プログラムの経験は、私自身の大きな変革以外のなにものでもありませんでした。リーダーシップの力をつけ、障がい者のインクルージョンに関する理解も深まりました。  ダスキンのリーダーシップ研修プログラムの間には、さらに二つ、大事な分野について学ぶ機会がありました。ひとつはパラスポーツ、もう一つは障がい者にとってのアクセシブルな環境です。パラスポーツは障がいのある選手の能力を社会に提示することにより、社会のインクルーシブ性が高まるだけでなく、障がいに対する社会の意識向上、差別や偏見の減少につながります。パラスポーツでは体を動かすことを推奨することで、障がい者の心身の健康を改善し、選手同士や家族間、支援者間のつながりができて連帯感が生まれてきます。また、こうしたスポーツが表に出れば、資金提供が増えたり、国際競技が発展していったり、そうした競技へ参加したり、といった可能性が広がります。  私は日本でいろいろなアクセシブルな場所や企業を訪ねて、インクルーシブな環境づくりの大切さを痛感しました。スリランカでアクセシブルな観光プログラムが開始され、障がい者もそうした場所に思う存分行くことができ、自国のさまざまな魅力を楽しめるようにするためにどうしたらいいか必要なアイディアや戦略を考えるに至りました。このような活動をともに進め、能力に関係なくどんな人も十分活躍でき、有意義に貢献できる、よりインクルーシブな社会を作りたいと思います。 まとめ  日本の研修で学んだことをスリランカの視覚障がい者のコミュニティにぜひ持ち帰りたいと思います。目的は、日本語と日本語の点字の教育を推進する財団を作って、日本で学んできたことを活かし、現実にポジティブな変化をもたらすことです。研修のおかげで、障がい者に対する政策やインクルーシブな取り組みに対する視野が広がっただけでなく、アクセシブルな図書の製作、ピアカウンセリングといった実践的なスキルも身につけることができました。このような学びのおかげで、相互扶助とエンパワーメントに根差した環境を自国でも作っていこうと強く決意するに至りました。  今後は障がい者の権利擁護および、インクルーシブな教育を進め、スリランカのすべての人にとってよりアクセシブルで、サポートが得られる環境を作っていきたいと思っています。ダスキンの研修のおかげでこの目的に向けたしっかりした基盤を作ることができ、私のコミュニティ、そして外部に向けて、今後継続的に変化をもたらす取り組みをリードしていく力をいただきました。 バリアを破る:変化をもたらすリーダーシップへの道づくり ジョヒルル・イスラム バングラデシュ(ダッカ)出身 31歳(2024年11月現在) 肢体不自由 研修目標 1.日本の技術力と障がいのある人の生活 2.日本の社会保障 3.将来の活動につながるネットワーク作り はじめに  私は初めてのダスキン研修プログラムのおかげで、さまざまな内容の研修セッションをどのように計画するのかを深く理解することができました。リーダーシップについて理解したことは、リーダーシップとはいろいろな情報を得ながら継続的に伸ばしていくものだということです。本研修プログラムは様々な知識に溢れていました。私にとっては自分の視野を広げ、リーダーシップやインクルーシブ性についての自分の見方に多大な影響を与えるものでした。  また、一人で、車いすで外に出かけてみることで、バリアフリーの概念の大切さを痛感しました。理想の社会とは、すべての公共スペースがバリアフリーで、障がい者をはじめ誰もが、問題なく外で食事を楽しんだり家族と有意義な時間を過ごしたりできる社会でしょう。このようなアクセシビリティとインクルーシブの視点があれば、誰もが社会的・文化的な活動に参加できるようになります。  私は世界に名だたる日本の丁寧なサービス(おもてなし)や他者への敬意、和を重んじる心、生活のあらゆる点をよくしようと努力することなどを見て日本が大好きになりました。  肢体障がい者として、私はよく移動の手段や道路、そしてとくにアクセシブルなトイレのことを考えなければなりません。バリアフリー展では、ベッドやトイレ、浴室、それから移動の手段に至るまで日本の素晴らしい技術革新を目の当たりにしました。障がいのある人たちの生活をよくするにはどれだけアクセシブルなデザインが重要かが、これらのイノベーションを見てよくわかり、私自身もインクルーシブ性を促進するのに尽力したいという気持ちがより強くなりました。 日本語研修:成長の旅路  東京の戸山サンライズでは三ヵ月、集中的に日本語研修を受けました。日本語を身につけるため勉強に没頭しましたが、わかったのはこの勉強がただ言語スキルを身につけるだけのものではなくて、日本の他者への敬意や和を重んじる心、細部まで緻密に物事をやることなどの日本文化を理解するためのステップでもあったということです。先生方は素晴らしかったです。忍耐強く教えてくださり、日本文化についての説明もしてくださったため、学びがいっそう豊かなものとなりました。日本語を理解して話せるようになったので、より流暢に日本語を使えるようになりたいと思うようになりました。 ホームステイの思い出  日本の南部、九州にある宮崎県では、宮崎の有名な美しい自然を体験しました。文化を吸収できる拠点、自立応援センターYah!Doの山之内さんが温かく迎えてくださり、宮崎の素晴らしい砂浜や、海沿いの景色のよいところへドライブに連れていっていただき、宮崎にすっかり魅了されました。山之内さんの温かさ、おもてなしのおかげで、ここが平和な自分の居場所であると思える忘れられない思い出となりました。あまりに素晴らしかったため、宮崎のエッセンスをまとめた動画「Amazing Miyazaki」を作るに至りました。  障害者自立応援センターYah!doの建物は伝統的な和の美しさと、現代の機能性を兼ね備えたもので、静かな山の景色の中で過ごした体験は忘れられません。また静かな浜辺と荘厳な山々に囲まれて新年を迎えることができたのは、とても贅沢なことでした。比類のない宮崎の静けさと自然の素晴らしさに大変胸を打たれ、またこの地をいつか訪れたいと強く願っています。 日本の食べ物:文化と日本の物の見方について  日本では、ハラールのラーメン、焼肉、そば、うどん、寿司、刺身、タコ、野菜、魚の天ぷらなど有名な日本食を味わいましたが、国に帰ってまた食べたいと思うのは、ツナとマヨネーズのおにぎりです。 初めてのスキー体験  初めての新潟でのスキー体験に私は期待と興奮の入り混じった気持ちで臨みました。とても寒く身体的にも大変でしたが、スキーの方法を習って障がい者のためのバイスキーを使ったことは、頑張ることと決意について学ぶかけがえのない経験でした。メディアにも取り上げられ、ひるむことなく信念をもって問題を克服し、自分のゴールを目指すことの大切さを学びました。 集団研修  集団研修では福祉サービス、障がい者運動の歴史、ユニバーサルデザインの趣旨、日本のさまざまな障がい者支援システムについて学びました。障がい者を支援する体系的な活動を包括的に説明するセッションで、インクルーシブな政策や活動の重要性が分かりました。また、ピアサポート、内省、人生曲線なども学び、障がい者の経験する課題や克服についての貴重な視点を学びました。  研修では、障がい者の支援において、社会的、経済的、心理的な側面を統合した全体的なアプローチが大切であることが強調されていました。こうした多面的な視野があることを知り、障がい者の心身の健康やエンパワメントにさまざまな要因がどうかかわっているのかより深く理解できるようになりました。 個別研修  DAISY(アクセシブルな情報システム)技術について学んだことは目から鱗の経験でした。DAISYは、視覚障がい者が情報にアクセスできるように考え出された技術です。介助技術がどのような可能性を開くのか、垣間見た気持ちでした。障がい者向けに設計された、テキストをオーディオに変換する技術や画像を説明する技術などを理解したいと思いました。しかし、DAISYのようなかけがえのないソリューションが存在するにもかかわらず、今のところそれによって助かるはずの人たちすべてに行き届いていないことも現実です。今後もDAISYについては勉強を続け、DAISYの効果や、改善の余地があるとすればどこなのかなどについて理解を深めていきたいと思っています。  個別研修ではハンズオン東京も訪れ、革新的なフードトラックの概念を教えていただきました。食べ物の届かない場所に食べ物を届けるフードサービスを見学して、社会的なニーズにどう対応するか考えるうえで独創的なアイディアがどれほど力を持つかがよくわかりました。ハンズオン東京の独創的なアプローチに感銘を受けましたので、バングラデシュの実情に合わせたフードトラック事業をバングラデシュでも作っていきたいと強く思っています。現地固有の課題や可能性を分析して、現地のニーズや嗜好に合った独創的なソリューションを提供していきたいと思います。 研究室での機械学習体験  神奈川工科大学の情報システム学科三枝研究室では高度介助技術について学び、障がい者支援を劇的に変える最先端技術を目の当たりにしました。私もAIとロボット工学に関与して、効果的で意味のある解決策ができるよう技術革新とユーザーのニーズの間のギャップを埋めていきたいと思います。バングラデシュでは技術セクターが急速に成長していますが、AIに関して私は非常に前向きですので、今回の経験を活かしてこの分野にインパクトある形で変化をもたらしていきたいと思っています。 変化に向けたビジョン  私のビジョンは、バングラデシュで自立生活センター(CIL)を立ち上げて、社会的な保護のシステムを変え、障がい者をエンパワーし、障がい者が完全に社会に溶け込めるようにすることです。メインストリーム協会、夢宙センターなどの皆さんと協力して、永続的な変化をもたらしたいと強く思っています。すべての人のためのバリアフリー社会の大切さを認識したので、こうした目的に向かって歩みを進めるべく、インクルーシブな研修セッションと戦略会議を立ち上げました。 学んだこと、そして将来行いたい取り組み  メインストリーム協会、自立支援センターぱあとなぁ、自立生活夢宙センターの存在は、困難に見舞われながらもどれだけ大変な努力をもって設立され、障がい者の権利運動がいかに熱意を持って行われたかを如実に示しています。アクセシビリティや、社会の問題といったさまざまなハードルを克服するためには弛みない、揺るぎない努力が必要でしたが、日本のリーダーの皆さんの揺るぎない献身によって、バリアフリーのアクセスに象徴される、よりインクルーシブな環境が造られたのです。  また、日本のお宅にお邪魔したことで、日本の障がい者の人たちが家庭でどのように過ごしているかを実体験することができました。家庭の中でいろいろな創意工夫がなされているのを見て、障がい者のコミュニティが直面する現実的な問題もより深く理解できました。日本の家庭でもアクセシビリティはこれまでずっと課題であり続けているものの、自立生活センターの活動が、政府の社会福祉活動の後押しをしてきました。これらの体験から、バングラデシュでも同じような運動の波が起こせる可能性を感じます。  バングラデシュでは、現地の実情に合わせた自立生活センターの設立が喫緊の課題です。ワークショップを開催したり調査をしたりして、広く障がい者のコミュニティが必要としていることや希望していることを探る必要があります。そしてそうした取り組みには、国のリーダーや草の根のネットワーク、都市部や地方のコミュニティ、教育機関などを巻き込んで、インクルーシブ性が担保できるよう注意を払わねばなりません。多様な視点を得て、広く理解を深めるには、政府担当者や団体代表とウェビナーや相談を重ねていくことが肝要です。  また、自立生活センターを長期にわたって存続させていくには、持続可能な資金の獲得も重要です。センターを設立し、その後の活動も続けていくには、政府の助成金から私的な寄付金にわたるまでさまざまな資金源を模索する必要があります。私の日本での研修は、日本の団体と貴重な協力関係を作るきっかけとなりました。協力して活動したり意見を交換したりすることで、バングラデシュの自立生活センターの発展につなげていけると考えています。  集団研修を終えたあとは、プロポーザルや行動計画を作成したり、日本財団やJICAといった機関との関係を築いたりしました。これらの活動をまとめたのが最終報告です。報告書では、バングラデシュに戻ってから障がい者の権利擁護活動を進めていくうえでの私たちの共通のゴールや願いをまとめました。「難民を助ける会」や「シャプラニール=市民による海外協力の会」とも協力関係ができたことで、現存する人道的な支援構造への足並みが揃い、バングラデシュの障がい者権利運動が実質的な成果を上げられるよう、私たちの活動を強化してくれるものと思っています。 まとめ  2024年7月13日、私たち研修生は、忘れ得ない経験の数々と、ダスキン愛の輪基金の確固とした支援への限りない感謝の気持ちを胸に、日本を後にしました。探求と協力がもたらす変化がどれだけ大きいかを露わにしてくれた旅でした。  戸山サンライズは単なる研修センターではなく、人との深い結びつきと理解の生まれた場所でした。私たち研修生を実質的なリーダーへと育ててくださったJSRPDに感謝します。  この経験を胸に、ここで誓いを新たにしたいと思います。「私ができなければ、誰もできない」この信念を思い起こし、どんな困難にも負けずに立ち向かい、決意をもって壁を取り払っていく覚悟です。  ダスキンの皆さん、胸躍るお知らせや活動の成果をお話できるように、皆さんとの再会を楽しみにしています。それまでどうぞお元気で、これからを楽しみにしていてください!